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2011年5月 3日 (火)

第3回 受験参考書の長文から、すべての英文は生きた語り(Parole)--  文章に組み込まれているコミュニケーション「7つのポイント」 の捉え方が解釈であり、それに従って音読すれば英語力は変わる!

Q:上の素材は物語でしたが、他のものはどうですか。

近江:そこなんです! 詩、小説、エッセー、手紙文、受験参考書の長文であろうと 同じことです。その背後に人がいる生きた語り(parole)であるという観点で素材の英文を精読することには変わりありません。文章は語り手のコミュニケーション行為の産物です。人間や組織や社会の行動を考える場合の「7つのポイント」というものを考えるのは物語であろうと評論文であろうと同じです。20世紀の文芸評論家ケネスバークという巨人が人間社会を分析解明するためにも生かされていた概念で西洋のレトリックの伝統の根幹にある概念です。解釈という観点で私がまとめ直すとこうなります。

①誰が(WHO)=語り手、

②誰に向けて (TO WHOM)=聞き手。

③いつ(WHNE)=時、

④どこから〈WHERE 〉=場所

(①~④=語り手の立ち位置)。

⑤ 何を「する」ために(WHY)=目的、魂胆“(情報伝達か、説得か、余興歓待か、弁明か、祈り等々)。

⑥もともとはどういう意味を持った語句、段落、エピソード、登場人物のスピーチに (WHAT=denonative meaning) 明示的な意味・内容

⑦= 1 どういう展開と配列と、

⑦=2 どういう非言語を連動させることで〈HOW〉= 形式

    どういう機能と最終的な意味(WHAT-connotative meaning)を与えているか-=機能と最終的な暗示的意味

捉え方が解釈であり、それに従って音読すれば第一回目で述べたように英語力は変わっていきます。もう、これはしてみるより他はありません。

初歩が勝負――中学教材New Horizonより。共通の問題点と指導法

Q: 中学生あたりの素材ではさすがにむつかしいでしょうね。

近江:違います。初歩であればあるほど、この考え方は大切です。この辺にボタンを掛け違いがあるから日本人の英語はなかなかよくならないのです。

まず現実は問題だらけの素材を提供しているという点があります。同時に処理の仕方がわかっていないという点が一方にあります。しかし、これは同罪で、根源にあるのはコミュニケーションに対する理解の欠如です。

 New Horizon1(東京書籍)のUnit9の「クリスマスがやってきた」の英文をご覧ください。

 

ある家庭の内外での挿絵が6コマあります。そこに英文が添えられています。(絵省略)

Koji is cooking in the kitchen. Lisa is helping him. Mike and Shin are reading Christmas cards. Emi and Judy and Bill are watching TV.  

Koro is running around in the snow.

どう思いますか?ちょっと音読してみていたけませんか?

Q: ( 読みはじめる )

近江:おっと待った!よく声に出せますね!!

Q: あっ!びっくりした

近江:…ということになります!(笑)

  この英文ですが、私のようにアメリカで演劇・スピーチを学んだ者にとってはこういう不可思議な英文を音読することは、苦痛以外の何物でもありません。というより不可能です。

近江:ところがはっきりいって、今、生徒ばかりではない先生までもが、CDのネイティブの声をマネするだけで何の痛痒も感じていないではないでしょうか。

まず、誰が、あるいはそもそも何人がしゃべっているかが不明です。一人だとします。しかし、その人は台所と居間が同時に見える地点に立っていなくてはなりません。しかし、どこに立っているのか、浮いているのかわかりません。ましてや外で転げまわっているコロが見えるのはほとんど霊的な存在でしかありません。

Q: そういわれてみればそうですね…

近江:いや、それでもいいのです。霊的な存在だと解釈(interpret)すればそれでいいのです。そのかわり、そうした声を模さなければなりません。

Q: (まさかっという顔をして笑う)

近江: いや、冗談でなくそうしなくてはいけません。日本の英語教育者はこういうときにいい意味の遊び心がないことが上達を妨げていることを指摘しておきたいと思います。

Q: いい意味の演劇の心ですね。霊もいいですが、これは、ビデオレターの語り手と考えることはできませんか。

近江:ビデオレター…なるほどね…。ということは空間の中で捉えると、それに類似した場面はないかな…。

Q: カメラを回している者がファインダーを覗きながらでもいいのじゃあないかと思います。

近江: 室内が込まなく見えて、同時に外のコロが見えるためには、話者はカメラをもって動いているわけですね。あるいは水族館で、のぞき窓から、見ているという場面も似ているかもしれません。

しかし、仮にそうだとしても浩二が台所で料理をしているということなどを誰にむかって語っているか?「連れ」だったら、その連れもその景色は恐らくは見ているはずだ。ではなぜいちいちKoro is running around…などというのだろうか。それとも本人の目が不自由だから?なるほど、教えてやっているのか、つまり情報伝達目的か、いずれにせよ、それにふさわしい調子で語ってもらう…。

Q:ふさわしい調子ってどんなでしょうか。

近江: わかりません。それがポイントではないのです。こんな風ではなかろうかなと考えることが重要なのです。ようは学習者が声を出すときに頭の中に何が起こっているかが入力の深さを決めるからこういうことをいうのです。

Q: 書き言葉だからそんな目くじら立てなくていいといわれそうですね…

いや、絶対そう弁明してきますよ…

近江: だろうね。もともと 〝I“という存在が稀薄で、「私」という主語も、その意識も希薄なまま、ぞろぞろと文を書き始める日本人です。語っている時の自分がどういう空間で話し、その時の立ち位置がどうでということが弱いという〝伝統”がこんなところでも暴露されてしまうのです。

しかし、そもそも書き言葉って何よということです。人間のセリフであることにかわりはないはずです。書いている人間の語りであり、語っている空間の中における立ち位置がないことはないのです。

教育素材の中にはこういう観点は一切考慮に入れられていないで書かれたものが沢山ありますが、それは教科書の執筆者たちの言語観と関連してくるから根が深いのです。

なぜこんな面倒なことを考えることが必要なのか。それは、まずああでもない、こうでもないと声を出し体を使っていく過程で、弁証法的に解釈を深めていくことができるということと、最も大切なことはしっかり納得して声だしをすることで、初めてまとまりある文章のレトリックを線として体に取り込むことができるからです。そしてそれが使えるようになるからです。大学入試の長文などにもあてはまるなのですよ!その点を再度強調しておきたい。

Q:だからなのですね…先生のクラスを見学したときに、あのレベルの英語を連続的に使ってハイレベルの英会話を使ったりしていましたね…。驚きました。

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