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2011年6月 9日 (木)

第4回 “スピーチ/レシテーションにおけるジェスチャをどうするか”?あまりにも低次元な問題から、非言語コミュニケーションと語る身体性に意識転換せよ

近江 前回、中一のリーダーの英文としてKoji is cooking in the kitchen…に始まる文章を取りあげましたが、それからあとにあることが起こりました。これも同じ「病根」にかかわること思うので今回はその話をさせていただきたいと思います。

先月SELHi指定校であった某県立高校の英語科の先生たちに招かれて話をしてきました。そこで「スピーチコンテストなどで、よくジェスチャを入れよ言われるが、とってつけたようなジェスチャなどさせないほうがいいと自分は思うがどうか」ということでした。私は、その通りであると答えながら、同時にコンテストなどの総評で相変わらず低レベルな御託宣を垂れて現場を混乱させている審査員がいるのだなと軽い絶望感を覚えました。

前回同様、語り手と立ち位置が理解されていません。手話でないのなら、語句をいちいち身体表現化するなどは愚かなことです。もちろん話者が、手話(しゅわ)通訳士という想定なら、バンバンやってちょうだいということです()。“島のあんこの黒髪を~”とかいいながら小首をかしげ右手をそっと髪に寄せて…どんどんやってかまわないでしょう。

: 島倉千代子のDVDでも見てですか(笑)

近江: だいたい語句の意味を身体表現化するといっても、コミュニケーション学が依って立つところの言語パロール観は、意味は語句の中に決定済のものとして内在すると考える言語ラング観とは異なり、使用者(=話者)がそれらに意味や機能を与えている、文章の話者が、語句をどういうつもりで使っているかということに重点が置かれます。従って上記の手話モドキの仕草は、手話でない限りはおかしなことになるのはあたりまえです。物語の朗読も同様です。語り手は話の中にでてくる登場人物ではありません。仮に自分の話をしている場面だとしても、現在は話の中にいる自分とは異なる次元にいるはずです。ですからそのジェスチャを真似て、つうになって「よひょうよ、お前はあたしの機を織っているところを見たな!」と形相すさまじく迫ったのでは、聞いている側はたまりません。   
Q: 
もっとも、怪談などで、わざ作中の人物が話者に憑依したかのように話し、それが見ている方の恐怖感をあおるということはありますよね。
近江: 白石加代子がそうですね。意図的に視点を混同させるわけです。もちろん実況中継的な視点で、話しているときにクマがでてきているのならよじ登るなり水に飛び込むなりすればいいはずです。なぜならそれがその場合のスピーカーの「ジェスチャア」だからですしかしここにはそれはあてはまりません。このへんが混同されているということは、ま・こ・と・に・クマった話です。

講演では先日亡くなった元キャンディーズの田中好子氏の別れのスピーチの例も出しました。あのときの彼女に向かって、どんなジェスチャを入れよというのでしょうか。あの場合、病床に半身を起して、最後の力をふりしぼって話しているあの映像でもわかるように、あれがあの時の田中さんのこの上ない雄弁な「ジェスチャア」だったわけです。「人はコミュニケーションを止めることはできない」(One cannot not communicate)。ワズラウィックという学者はいいました。わざわざ入れなくとも人の身体は間断なく何かのメッセージを発しているということです。なるほど動きを意識的に磨くということはあります。踊りもフィギャアスケートもそうです。でも、「真央ちゃん動きを入れましょう」とはいいません。静止状態も含めてすべてが「語る身体」だからです。
それともうひとつ大切なことは、
身体とか音声というものは、スピーカーが外から付け加えるものではなく、テクストに内在しているものであるということです。例の「ヴァージニアの手紙」(Virginia’s Letter)におけるNew York Sunの紙の返事は、ヴァージニアだけに語っているのではなく、世間一般に向けている箇所もある、つまり異質の空間が同一の文章テクストに同居していると解釈し、目線が遠近と移動させていくとしたら、これなどは作品の内部に突き動かされた連続して語る身体非言語表現といえないことはありません。現場も、いわゆる狭い意味のスピーチ学習をどう指導するかなどというマニュアル的な関心を寄せるのではなく、普段扱われているリーダーの文章、受験参考書の長文でも、その中にどういう身体性が組み込まれているかということを考えることが読解学習であるような指導を普段から展開することが、長期的には英語力をアップしてことに貢献することは間違いないことです。

背後に身体性に対する意識の欠落していた旧帝大のアカデミズムを頂点とする長い、長い日本の英学の歴史があるから一朝一夕にはどうにもならないかもしれませんが、日本の英語教育にスピーチコミュニケーション学の特にオーラルインタープリテーション(作品音声解釈表現法)を導入されていくことです。

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